36. 平成31年初稽古

1月3日ことしも穏やかに初稽古をむかえました。

 少年部の子供たちの元気な声で初稽古が始まりました。

はち巻組も寒さに負けずどんどん元立ちにかかりました。

新年の形は、

打太刀「剣道教士八段 東倉雄三先生」

仕太刀「剣道教士七段 池永祐一郎先生」

両先生方による、清々しい演武でした。

 青年部の稽古は中学生以上による熱のこもった稽古となりました。

最後に七段以上の先生方による迫力のある稽古を拝見し初稽古は終了です。

 今年の言葉は「見事な一本」です。

私たちそれぞれの「見事な一本」を打ちたいですね。

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コメント: 1
  • #1

    千葉富夫 (木曜日, 16 4月 2020 16:10)

    お世話になります。座間市に住む66歳の千葉富夫と申します。
    祖父の事を調べていて、先日ネットで台湾剣道一家の記事を読みました。
    徐家の栄光と継承    台湾剣道の発展    台灣光華雜誌
    2019 / 10月  文・鄧慧純 写真・莊坤儒 翻訳・久保 恵子
    そこで台湾剣道を調べていて、貴道場も台湾剣道と繋がりがある事を知りました。
    台湾剣道の歴史(流派等)についてわかる範囲で教えて頂けないでしょうか?
    又、徐彦郎館長と連絡が取れる様間に入って頂けないでしょうか?

    私の祖父三浦徳治(1887年生まれ)は若くして宮城県気仙沼市から台湾に渡り、台中刑務所の刑務官として永年勤務していました。定年後も台中に残り住み続けており、台湾の知人も多くいた様子で、母も台湾で生まれた湾生です。台中市には刑務所内に剣道場として武徳殿が1937年に建てられており、日本統治時代には台中にいて学校等でも生徒達に剣道を教えていた様です。当時台湾に住む剣道家の中では高段者だったと思われ、大会等でも模範演技等をしていたものと思われます。
    記事にある徐銀格さんの住む新竹は台中と比較的近い為か、母も新竹の話しもよくしており、記事にある様に、日本の大会に出る様な方であれば年代的にも必ず剣道を通じて知り合っていたものと思われます。残念ながら祖父、母たちは戦後すぐに日本に身一つで引き上げていますので、こちらには当時のものはほとんどありません。台湾時代の祖父は家にいる時はよく刀の手入れをしていたと母が話しをしていました。
     何分古い話で剣道の事もよく知らない為に調べ方もわからずにいます。当時の祖父の事がわかる資料が少しでも残っていないかと期待しています。又もしも連絡を取って頂けるのであれば、こちらからもわかる範囲で資料をお送りたいと思います。
    お忙しいとは思いますが、宜しくお願いいたします。
            住所   座間市東原5-1-15-305さがみ野さくら            
            名前   千葉 富夫 
            携帯   090-1996-6975
            アドレス chiba1030@kpb.biglobe.ne.jp